【3分で完全理解】『幸せになる勇気』を分かりやすく要約します。

スポンサーリンク
全記事一覧

【名著】『嫌われる勇気』

その続編として、

『幸せになる勇気』

が刊行されています。

『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を合わせて

【勇気の二部作】と呼ばれています。

『嫌われる勇気』では、

アドラー心理学の基礎や根幹部分を学ぶことができました。

そして今回ご紹介する『幸せになる勇気』は、

嫌われる勇気で学んだ内容の実践編が描かれています。

前作のおさらいも兼ねている部分も多くあるので、

今回の要約ではその部分はご紹介しません。

今回の記事だけを読んでも話は分からないと思うので、

必ず!

嫌われる勇気の要約を読んでから、

今回の記事を読み進めてくださいね。

まだ要約を読まれていない方はこちら。

↓ ↓ ↓

前作同様、登場人物は2人です。

アドラー心理学を研究している哲人と、

前作から3年が経ち、学校で教員をしている青年です。

討論、会話形式にて物語は進んでいきます。

今回も、この青年は怒り狂っています。笑

なんと!

アドラー心理学の教えを守って学級運営をした結果、

学級崩壊を起こしてしまったというのです・・・。

青年は、アドラー心理学という理想と決別するために

再び哲人のもとを訪れました。

今回も、本書の要点をできるだけ分かりやすく伝えるために、

以下の3点に絞って解説します。

  1. 叱ってはいけない、ほめてもいけない
  2. 褒賞が競争を生む
  3. 愛とは「決断」である

それでは、解説に移っていきましょう。

スポンサーリンク

叱ってはいけない、ほめてもいけない

アドラーは賞罰を禁じます。

『叱ってはいけない、ほめてもいけない。』

では、どのように教育するのでしょうか。

話は、子どもの問題行動について触れます。

子どもがなぜ、問題行動を起こすのか。

1つは、何がダメなことか知らない『無知』である

ということが挙げられます。

無知な子どもには、丁寧に教えてあげないといけない。

その教える過程で、叱る必要はないという考え方です。

しかし、ダメなことだと分かって悪さをする子どもが大多数です。

アドラー心理学では、

人間の問題行動において背景に働く心理、

【問題行動の5段階】を提示します。

  1. 称賛の要求・・・ただ褒めてもらうために行動する。
  2. 注目喚起・・・とにかく目立つための行動をとる。
  3. 権力争い・・・不従順(反抗)によって、力を誇示しようとする。
  4. 復讐・・・憎悪という感情を持って、相手に嫌がらせをする。
  5. 無能の証明・・・人生に絶望し、自分がいかに無能であるかを証明しようとする。

【称賛の要求】では、

やる気や従順さをアピールすることによって、

ほめてもらうことを求めて行動します。

しかし、そんな自分を褒めてもらえなかったらどうなるでしょうか?

そう、問題行動に走るのです。

全ての入り口は、この称賛の要求からスタートします。

【注目喚起】では、

ほめられなくてもいいから目立ってやろう、と

悪い子になって注目を得ようとします。

叱られることで、自分の存在を認めてもらおうとするのです。

【称賛の要求】と【注目喚起】の段階の子どもは、

「特別じゃなくても価値があるんだ」

ということを教えていくことで、改善に向かいます。

【権力争い】では、

大人たちに挑発を繰り返し、戦いを挑みます。

反抗することによって、自分たちの力を誇示したいのです。

そんな子どもたちに対しては、

相手と同じ土俵に上がらない

ということをすべきです。

間違っても怒鳴りつけたり、怒りの表情を見せてはいけません。

なぜなら

叱られることは子どもたちの望むところだからです。

※【復讐】【無能の証明】については、

専門家のフォローが必要な段階になるので、ここでは割愛します。

叱ったり褒めたりすることは、

かえって子どもの問題行動を増長する行為です。

『叱ってはいけない、ほめてもいけない』

というのは、まさにこのことから生まれた教えです。

改めて僕たちにできることは、

何かができたり、才能があったりすることが「価値」なのではなくて、

「あなたがそこに存在している、それだけで大きな価値がある!」

ということを、強く、強く訴えてあげることなのだと思いました。

ここで関連する話として

「怒ることと叱ることは違う」

と主張する大人がたくさんいます。

しかし、アドラーはこれを全面的に否定します。

たとえ、怒りという感情を爆発させなかったとしても「叱る」という行為は、言葉でコミュニケーションすることを放棄し、手っ取り早く屈服させようとしているのだ。

つまり、『怒ることと叱ることは同義である』と。

どちらも、自分の言い分を一方的に言い聞かせようとしているだけなのです。

スポンサーリンク

褒賞が競争を生む

会社組織や学校というところでは、

「競争」という枠組みが必ず存在しています。

成績が良いかどうか、成果を上げられているかどうか。

そして優秀な人には、それぞれに応じた褒賞が待っています。

しかし、

アドラーは「褒賞」を否定します。

学級や会社組織というのは民主主義国家です。褒賞というルールを設けると、そこに「競争」が生まれます。競争原理に則り、他者と競うことを駆り立てたとき、なにが起きるでしょうか?それは、集団の中の本来仲間と呼ぶべき人たちが、褒賞を得るために争い合う「敵」となってしまいます。そうすると、「敵」である誰かの足を引っ張ったり、手柄を横取りしたり、という問題行動が起きるのです。これは、組織全体が競争原理という病に冒されているのです。

競争原理というのは、他者を敵とみなしてしまい、

勝てば誇らしいが、負ければ劣等感や嫉妬に苦しめられる

組織全体が患っている病だというのです。

では、そんな病から抜け出すためには

どうするべきなのでしょうか?

賞罰も競争もない、「協力原理」に基づいて運営される共同体を、ほんとうの民主主義と呼びます。そこで、「人々は私の仲間である」というライフスタイルを身に付け、強さや順位を競い合う「縦の関係」である「競争」という病を治療していきます。そして、勝ち負けが存在せず、他者と協力することに重きを置いた、「横の関係」である共同体を作り上げるのです。

「競争」ではなく「協力」をする組織にならなければいけない。

僕もこの教えは本当にそうだと感じています。

僕たちは資本主義社会の中で、

永遠に終わりの見えない「競争」を強いられています。

勝てば豊かな生活が待っていて、

負ければ底辺を歩む生活しかできない、

格差の中に存在しています。

ただし、

現状はこの「競争」からは逃れることは難しい。

そう感じてもいます。

みんなが一斉に、

「これ以上豊かになってどうするの?はい!競争止め〜!」(笑)

とならない限り、厳しいと思います。

とはいえ、便利なものがこれからもたくさん現れて、

僕たちの暮らしがもっと楽になれば嬉しいですし、

それは競争の中から生まれるのもまた事実です。

その競争の原動力こそが、「褒賞」でもあります。

「競争」と「協力」、「幸せに生きる」ということ。

これらのバランスを探っていく必要がある、

と改めて考えさせられる教えでした。

スポンサーリンク

愛とは「決断」である

この物語の最後では、

『愛のタスク』

いわゆる、愛について語られる場面が出てきます。

愛とは一体なんなのでしょうか?

愛とどのように向き合っていくべきなのでしょうか。

そこに踏み込むにあたって、まずは

人は愛す生き物ではなく、愛されたい生き物である、

ということを理解する必要があります。

生まれて間もない子どもは、自分の力では何もできません。自分一人では、生きていくことさえ難しいのです。生きていくには、親や周囲の人間の献身が必要です。そしてそのためには、親から愛される必要がある、ということを子どもは理解しています。その時点から、命に直結した生存戦略として「愛されるためのライフスタイル」を選択するのです。

自分一人で生きていく力がない、

だから、生きていくために必要な手段として、

愛されるように振舞う、ということです。

つまりその時点において、

他者から認められることや、承認欲求というもの

根付いてしまっているのです。

自分が愛されることばかり考えているのです。

アドラーは言います。

幸福に生きるためには、

子どもの頃の「愛されるライフスタイル」から脱却しなければならないと。

愛されることではなく、愛すことが必要なのだと。

すなわちそれが、貢献感に繋がっていくのだと。

前作で語られた、他者貢献によって貢献感を感じる、という話が

今作にも登場してきました。

そして、ここからの内容が非常に重要になります。

例えば、新しく発売されたiPhoneが無性に欲しくなったとしましょう。笑

ほしくてほしくたまらない。

目を閉じても、あの新作iPhoneのことが頭に浮んできます。

(実際、僕がそうです。笑)

でも、いざ手に入れてみるとどうでしょうか。

手に入れた瞬間は喜びに満ち溢れていたかもしれませんが、

半年もすれば、慣れによって飽きてしまいます

それはなぜでしょうか。

アドラーは言います。

その物を所有し、獲得し、征服したかっただけなのだ、と。

それが、恋愛にも当てはまるというのです。

そう、恋(愛)に落ちるというのは、本質的には、物欲と同じだというのです。

だからこそ、大切なことがあります。

それは、「相手と結ばれること」ではなく、

「結ばれた後の関係」です。

結ばれた後に、相手を愛す、ということが大切なのです。

ここでまた、衝撃的な内容が語られます。

「運命の人」というのは存在しません。結婚とは、愛すべき「対象」を選ぶことではありません。自らの生き方を選ぶ、ということです。つまり、究極的に言えば、「対象」は誰でもいいのです。われわれは、いかなる人でも愛することができるのです。

これは先ほどの物欲、所有欲の話に通じてきます。

自分が運命のように思える恋に落ちたとしても、

結ばれる前に、

「自分にはこの人しかいない!」

と熱く想ったとしても

所有してしまえば、いずれは飽きがきてしまいます。

だからこそ極論を言ってしまえば、結ばれる相手は誰でもいいのです。笑

そんなことよりも、「結ばれた後」に、

どのような関係作りをするか、どのように愛するか、

ということのほうが大切なのです。

というのは、落ちるものではない。2人で成し遂げるものである。誰かを愛するということは、たんなる激しい感情ではない。それは、「決意であり、決断であり、約束」である。

僕の解釈になりますが、

アドラーのいう『愛』とは、

【決意して相手に貢献すること】

なのではないかと感じています。

そこには、通常僕たちが想像する愛や恋といった

キラキラ(?)したものはありません。

「相手に貢献する!という強い決意こそが『愛』なんだ」

という、僕達を現実に突き落とす厳しい言葉です。笑

また、運命の人を否定しているアドラーですが、

運命に関して、以下のように述べている場面があります。

運命とは、待っていたら偶然降りかかってくる、というものではありません。あらかじめ、定められているものではありません。ふたりの努力で築き上げていくものです。そう、運命とは『自らの手で作り上げるもの』なのです。

運命とは、『自らの手で作り上げるもの』

う〜ん、カッコいいですね。

スポンサーリンク

【タイトルに込められた意味】幸せになる勇気とは?

人は生まれながらにして、

「愛されるためのライフスタイル」を選択します。

しかしそれでは、誰かが自分を愛してくれるかどうか

という領域でしか考えることはできません。

前作の『課題の分離』でお伝えしたように、

自分を愛してくれるかどうかは、他者の課題なのです。

では、自分にできることはなんなのでしょうか?

それは、他者に愛してもらえるかどうかは関係なく、

自分がただひたすらに愛す、ということなのです。

人は、他者を愛することによってのみ、

貢献感を感じ、幸福になることができます。

しかし、『愛』には決意が必要です。

『勇気』が必要です。

つまり『幸せになる(ための)勇気』が必要なのです。

これが、『幸せになる勇気』の

タイトルに込められた意味でした。

スポンサーリンク

感想

ここまで読んでくださってありがとうございます。

前作では、アドラー心理学の概念の説明が多かったのですが、

今作ではもう少し踏み込んで、具体的な話が展開されています。

ただ、話があっちこっちいったりする印象も受けたので、

1度読んだだけでは全然理解できませんでした。笑

子どもの問題行動という身近なところから始まり

最終的には『愛』にまで話が及ぶ。

なんと壮大な物語でしょうか・・・。

ただし、本書は読めば読むほど厳しく感じるものがあります。

「この本を読んだから、すごく考え方が変わって、明日からハッピーになれそうだぜ!」

とはなりません。笑

アドラーの思想に触れ、即座に感激し、生きることが楽になった!と言う人は

「アドラーのことを大きく誤解している」

と本書でも表現されています。笑

自分自身とただひたすら向かい合って、

今この瞬間をどのように生きていくか考えること。

今この瞬間から変わるんだ、という強い勇気をもつこと。

まるで禅修行をしている僧侶のような思想です。笑

それでも、僕の考え方を大きく変えた2冊です。

「人生に悩み苦しんだときには、この本のもとへ帰りたい」

と思わせるような名著であることは確かです。

この【勇気の二部作】は、

アドラー心理学の入門編の入門ぐらいのレベルの内容だと思います。

しかし、確実に、

あなたの人生観を大きく変えることは間違いないです。

ぜひ、『嫌われる勇気』とセットで手にとってみてください。

そして、何回も何回も読み直して、

アドラー心理学のエッセンスを取り入れてみてくださいね。

ありがとうございます。

つばさ

コメント

タイトルとURLをコピーしました