【3分で完全理解】『幸せは、なるものではなく、感じるもの』を分かりやすく要約します。

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『過去』『現在』『未来』

仏教ではこれを『三世』といいます。

「この世界には過去と未来はなく、現在という時間だけが存在している」

という教えです。

著者枡野俊明ますのしゅんみょうさんは曹洞宗の住職さんです。

本書『幸せは、なるものではなく、感じるもの』では、

禅の教えを分かりやすく僕たちに伝えてくれています。

僕たちの『命』は、決して自分だけのものではありません。

何百年、何千年も前からご縁を結び、ご先祖様から繋いできた、

「命の預かりもの」なのです。

だからこそ、命を大事にしなければいけません。

それは、今という一瞬一瞬を一生懸命に生きるということです。

今回は、本書の内容を以下の3つに絞って分かりやすく要約・解説していきます。

  1. いっさいは心の現れ
  2. 共に育み、共に育つ
  3. 今、この一瞬を生きる
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いっさいは心の現れ

僕たちは生きていく中で、さまざまな不安や心配事を抱えています。

悩みが全くない人など、誰一人としていないでしょう。

では、僕たちの不安や心配事は、一体どこにあるのでしょうか。

それは、「未来の中」にあるのです。

一切唯心造いっさいゆいしんぞう

という言葉があります。

全ての現象は、心がつくりだしているもの、という意味です。

自分が楽しいと思うことも、悲しいと思うことも、

それは人の心がつくり出した幻です。

同じ経験、体験をしたとしても、人によって感じ方が違うのもまさにこれだと思います。

しかし、未来の中にある些細な心配事は、

実際にはほとんど現実には起こらないことです。

「病気になるかもしれない、どうしよう。怖い、不安だ」

と思ってばかりいると、本当に病気を引き寄せてしまいます。

まだ病気になっていないのなら、

今の健康に感謝して生きるほうが、よほど楽しく健康的に生きられるのです。

著者は言います。

「心配事に対して最大限の準備はしておいて、もしそうなればその時考えたらいい」と。

心配症な著者は、待ち合わせ場所に必ず30分前には到着するように行くようです。

30分の時間の余裕があれば、

渋滞に巻き込まれたり、電車が遅れたりしても対応できるからだそうです。

もし、それでも遅れるようなら事態が道中で起きるなら、それは仕方ないと諦めます。

心配するだけで、何も行動に移さないのが一番いけないことなのです。

また、

日日是好日にちにちこれこうにち

という言葉があります。

「晴れの日には晴れの良さ、雨の日には雨の良さがある。そう思うことで、毎日が自分にとって良い1日になる」

という意味です。

人生においても、良い出来事、悪い出来事はあるでしょう。

でも、それに良い・悪いという意味づけをしているのは人間です。

起きた現象は自分の心がつくり出したモノなのです。

誰と比べることなく、晴れには晴れの、雨には雨の良さを見出して、

日々を生きていくことが大切だと教えてくれます。

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共に育み、共に育つ

和顔愛語わげんあいご

という言葉があります。

これは、

「いつも柔らかな笑顔を絶やさず、相手に対して思いやりある言葉をかける」

という意味です。

全ての人がハンサムや美人であるわけではありませんが、

笑顔というのは人間にとって100%魅力的なものです。

その笑顔で、相手に思いやりある言葉をかければ、

誰もが気持ちよく生きていくことができるという教えです。

また、

一期一会いちごいちえ

という言葉があります。

これは、

「一生涯のうち一度きりの出会い」

という意味です。

旅先で人とお話しすることがありますよね。

歩いていて、道を尋ねられることもあるでしょう。

そのような方々は、名前も知らず、もう2度と会うことのないような人です。

あなたの周りにいる人は、そんな人達と同じように、

一度きりの出会いから人間関係が始まりました。

そんなたった一度の出会いに、少しだけ心を寄せてみましょう。

それが、人間関係の悩みをほどくことに繋がります。

会社の人、子どもの学校のPTAの人、町内会の人など、

どこにでも自分と合わない人は存在します。

その相手に対して、ネガティブな感情を生むこともたくさんあるはずです。

しかし、一度の出会いを大切にするのも『一期一会』なら、

いずれ付き合いは終わると考えることもまた『一期一会』です。

部署移動したり、子どもが卒業したり、引越しをしたりすると、

あっという間に消えていく関係の人たちばかりです。

いずれ離れる相手に対して、必要以上に悩みすぎないようにしましょう。

すべての人に『和顔愛語』で接することを心がけること。

合わない人とは無理に関わらないようにすること。

それでもどうしても関わらないといけない時は、

この相手とはいずれ終わる関係だと割り切ってしまいましょう。

どれもが、『一期一会』を大切にした行動です。

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今、この一瞬を生きる

ご飯を作って、子どもを送り出して、家事をして、またm1日が終わる。

通勤して、会社で仕事をして、疲れた体で家に帰り、また1日が終わる。

「もっと刺激的なことがあるのではないか」

「もっと別の生き方があるのではないか」

このように考える人も多いのではないでしょうか。

人の毎日は、えてして同じモノになりがちです。

正確に言えば、同じモノだと勘違いしてしまいがちです。

『晴れと

という言葉があります。

晴れとは、「特別で華々しい一日のこと」

褻とは、「淡々と変わらぬ日常のこと」

多くの人は、この晴れの日のことばかり考えて、刺激的な毎日を求めようとします。

著者は言います。

「晴れの日など一生のうち数回あればいいものだ」と。

他人の晴れやかな姿を見て、

「自分もあの人のように刺激的な日々を送りたい」

と思うこともあるでしょう。

しかし、あなたが見ている他人の晴れの姿は、

その人の人生のうちのほんの一瞬を見ているだけかもしれません。

オリンピック選手が4年に1回晴れの姿を見せますが、

それまでの4年間は、

過酷で、地味で、コツコツと力を蓄えるだけの、淡々とした日常なのです。

逆を言えば、他人の目にはあなたも晴れの姿として写っているかもしれません。

幸せとは何かを追求したときには、

変わらぬ日々こそが幸せだという答えに辿り着きます。

病気をしたら、当たり前に健康であったことが幸せだったと思うでしょう。

大切な人との別れがきたら、何気ない日常が幸せだったと気付くでしょう。

漁夫生涯竹一竿ぎょふのしょうがいたけいっかん

という言葉があります。

これは、

「漁夫は生きていくために、釣竿が一本あればそれでいい」

という意味です。

つまり、

「生きるために不必要な余分なものを捨てて、真に大切なものを見極めなさい」

という教えなのですが、

僕たち人間にとっての一本の竿とは何なのでしょうか?

それは、「今こうして生きていること」です。

人間にはいつか必ずが訪れます。

何世紀も先の話ではなく、

数年から数十年という近いところで待っています。

ある日、幼い我が子を亡くされた父親が、著者にこう言いました。

仕事やお金などいらない。自分の命すらいらない。だからこの子を死なせないでほしい、と祈り続けていた」と。

今、僕たちには当たり前のように命があるという奇跡

これを忘れた時、人は不必要な欲望に捕らわれ不幸になってしまいます。

いろんな悩みがあっても、苦しみがあっても、こうして生きていること。

この奇跡に感謝して今を大切に生きていくのです。

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最後に

本書の中で僕が気になった箇所をご紹介します。

『孤独という美しき覚悟』

という章の中の一部分なのですが、

「人間とは本来孤独であるもの」

という著者の言葉が記されています。

これは、

「人間がこの世に生まれてくる時も一人、そして旅立つ時も一人」

だということです。

だから、僕たちは「孤独である」ということを忘れてはいけません。

人間は成長するにつれて、

学んだり、得たり、人と関わったりし、たくさんの影響を受けます。

誰かと比較することもあるでしょう。

しかし、その中から自分の考え方や生き方を、

自分の力で見つけていかねばなりません。

「自分はどうしたいのか」

「自分は何がしたいのか」

たった一人になって考えることです。

そのために、何もせず、誰にも邪魔されず、自分と向き合える時間を作るようにしましょう。

「自分は孤独である、という覚悟を持って生きること」

この覚悟はとても美しいものなのです。

だだし、

「孤独」と「孤立」は違う、と著者はいいます。

孤独になることは必要ですが、社会や周りから孤立してはいけません。

僕たちは、様々なご縁によって今を生かしていただいています。

「孤立」するとは、その『ご縁』を自らが拒否することと同じです。

「一人でいることが好き」と、「一人きりで生きていく」というの違います。

人は一人では生きていけるはずがありません。

「孤独を大切にしながら、周りの人とのご縁に感謝しながら生きていく」

という姿勢を持つことが大切なのです。

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感想

ここまで読んでくださってありがとうございます。

本書『幸せは、なるものではなく、感じるもの』は、

禅の思想をたくさん散りばめながら、理解しやすいように教えてくれます。

幸せというのは、

「なる」「ならない」というものではなく、

自らの心が「感じるもの」です。

本来、幸せというのは、僕たちの傍に寄り添っています。

自分が不幸だと嘆く人は、

幸せを見つけることをせず、不幸の種を撒いている人です。

ご飯を食べることができたり、自然から守ってくれる家に住めたりして、

自分の命が保証されているということ。

そんな当たり前の日常を送ることができて、今を生きている、ということ。

これが、僕たちにとって最高の幸せではないのでしょうか。

ありがとうございます。

つばさ

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